私には十分な小次郎情報だと思います
「米国で流行したものは3年遅れで日本でも普及している」。
「たしかに、外食産業は将来性がある」。
当時のふたりが、本場・米国を何度か訪ねたうえ、日本の3年後、加年後の消費構造、社会構造を思い描いて、提携先としてコンビニエンスストアではなく、レストランチェーンに的を絞ったのは、なんの不思議もなく、むしろ同業他社を半歩リードする選択眼だったといえるだろう。
その後、相前後してスタートしたデニーズジャパンの隆盛をみても、それはわかる。
SとFはn年春以降、何度も訪米して提携先を「デニーズ」に絞った。
デニーズ側と交渉を始め、そのチェーン店を視察して回った。
外食産業の現在の隆盛を見ると、ふたりの着眼点はいいところをついていたといえる。
しかし、いまは日本のどこにでも見られるデニーズも、当時は日本進出など何の成算もメリットもないものとして、相手にしてくれなかった。
交渉は遅々として進まなかった。
そんなある日、デニーズを視察する途上、よく町中で同じ看板の小さな小売店を見かけることに改めて気づいた。
「スーパーほど大きくはないが、といって米国によくあるドラッグストアでもない。
どんな店だろう」。
Sは実はその3年前、ある流通関係グループの米国視察団に参加したとき、この店を見たことがあった。
いく町いく町にあるのだ。
看板には「7‐ELEVEN」とあった。
この小売店こそ、米サウスランド社がチェーン展開していたコンビニエンスストアのSEだった。
当時、SEの店舗数は全米で4000店を超えており、Sらが「どこにもある店だなあ」と思ったのも無理はない。
ただ、SははじめからSEを提携先と考えた訳ではない。
同じチェーン店として、何か日本のイトーヨーカ堂に取り入れることがないかという関心が先に立っていたのである。
実は当時、Sは国内でのイトーヨーカ堂本体の地方展開も担当していた。
それが大型小売り店舗法に基づく地元商業調整協議会などで地元商店街の反対を背景に大型スーパーの新規出店がむずかしくなっていた。
既存の地方スーパーとの提携などにも限りがある。
イトーヨーカ堂は「スーパーと商店街は共存できる。
むしろ、商圏間競争には核店舗が必要になる」と訴えた。
しかし、多くの商店は「スーパーができたら客を奪われる」と目先の利益しか考えず、反発するところが多かった。
米国で近代流通業の隆盛を目の当たりにしたSの目には、日本の商店街の小売店舗の問題点はスーパーと比べものにならないくらい生産性が低いことと映っていた。
よりよい小次郎なんどのタイトルや解説を掲載しないと、他の広告に小次郎は間違いなく埋もれてしまうのです。